Q:JBICについて、どう思うか、ご意見を聞かせてください。
2003年2月、バンコクでの住民代表の話:
「私はラムタコン揚水発電所の建設で影響を受けた、カオヤイティアン村の者です。私はイスラム教徒を信仰しています。私たちの村には仏教徒とイスラム教徒が一緒に生活しています。」
「事業の始まる前、事業主体であるタイ発電公社は、発電所が建設されれば生活は向上すると宣伝しました。建設地近くの二つの村は反対しませんでした。このプロジェクトが県の「顔」になる事業で、貯水池が観光地になるといわれたからです。」
「しかし、1995年の末から、上部池建設に伴う爆破作業が始まったことで事態は一変します。作業は昼と夕方2回、騒音、振動、粉塵を村にもたらしました。村人はもともと果樹園、乳牛、肉牛飼育、野菜作り、地鶏の養鶏などで暮らしていました。工事の振動は木々を枯らし、積もった粉塵が実りを妨げました。また当時、村人が食用にしていた植物も採取できませんでした。草も生えなくなったので、乳牛のために牧草を育てる必要が生じました。粉塵は水源にも降り注いだ上、屋根に積もり、雨水を飲用していた村人は腹痛を起こしました。また、生活用水も汚染されたので、発疹になる人が出てきました。振動のためか、村の水源が枯れました。放牧に利用していた土地にも地割れや浸食がおきたのです。」
「村人の健康への影響はひどいものでした。人々は呼吸困難を起こし、胸が苦しく嘔吐する人、急死する人も出たのです。病院に運ぶまもなく亡くなった人もいます。多くの人が頻繁に病院にかかるようになりました。工事期間中、ずっと風邪のような症状があり、寝る前には睡眠薬のようなアレルギー薬を飲まなくてはなりませんでした。最初の2,3年では自分たちの身に何が起こったのか分かりませんでした。人々は、水や空気が汚染されていることを知りませんでした。」
「私たちの闘いは非常に困難です。タイ発電公社は、私たちの生活を事前に調査していない、と主張しています。また、工事は非常に良く行われたので、影響はないとも言っています・」
「今、気管支に問題のある人は、酸素吸入などの処置を時々受けています。村人の抱える症状は、気管支以外にもあり、驚きやすい、疲れやすい、眠っているときに痙攣がおきるという症状があります。私も時には、電話の音を聞いただけで非常に驚くほどです。また、手の痺れなどが見られ、いまだにめまいがします。私たちは、工事の影響でこうなったと考えています(彼女は2004年3月、癌のために亡くなった)。」
50代男性:
「毎日、この車で病人を下の町に運びました。人によっては他人が自分の車上で死ぬのを嫌がりますが。次々と病人が出て休むまもなくピストン輸送した日もあります。」
彼は、呼吸困難になった人を山の中腹の村から平地の病院に運ぶ役目を担っていた。
40代女性:
「父は年なので、仕事は子どもたちに任せ、いつも家の2階から外を眺めていました。工事期間中のある日、突然呼吸困難に陥って亡くなりました。父がいつも座っているところは吹きさらしだったので、粉塵が多かったのでしょうか・・・。」
70代女性:
「うちの孫は工事を経て、喘息になりました。冷たい水で体を洗うと夜通し咳が止まりません。寒い日は気をつけないとなりません。」
そばに座る男の子は首にタオルを巻かれている。呼吸の関係か、口を閉じることができず唾液が止まらないからだという。
50代女性:
「この事業のおかげで道路はよくなりましたが、道路を食べて生活するわけにはいかないでしょう。健康上の問題もあります。私たちは事業に反対をしたこともなく、今まで協力を惜しみませんでした。でもなぜ助けてもらえないのでしょう?」
50代男性:
「JBICに発電公社の話だけではなくて、村人の話も聞いてほしい、現地に来てほしいと言った。でも、それは受け入れられなかった。」
50代女性:
「工事の粉塵は煙のようで、それに巻き込まれるとひどい吐き気と眩暈がしました。工事中、2人の子供が同時に入院して、自分も工事の影響と看病から来る過労で倒れました。息子の症状を医者は、マラリヤだとかデング熱だと言って原因を特定できなかった。一人は、肝臓がはれ上がって亡くなりました。私はとても貧しい家庭に育ち、おかずがないときは塩でご飯を食べたものです。でも、貧乏に泣いたことはなかった。このプロジェクトに直面してからです、泣くようになったのは。息子は病院のICUで原因も分からず死んでゆき、妹も癌で亡くなる・・・。開発事業は私たちが失ったものを補償することはできません。健康、家族の幸せを返してくれることはできないのです。」
詳しくは、「住民が健康被害に苦しみ続けるタイの揚水式発電所建設事業」を参照下さい。
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