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つぶやきコラム5:カエンコイとはここのことかと住民言い


自らが融資するタイの火力発電所の建設地を、JBICは「カエンコイ」と呼びつづけている。私は地元の人びとと幾度となく話したが、「カエンコイ」という発音を耳にしたことはない。表記するなら「ゲンコイ」だろう。「カエンコイ」は、おそらく、アルファベット表記Kaeng Khoiをローマ字読みしたがための誤り(正確には、発電所に出資している電源開発の誤りをJBICが踏襲したもの)だと思われる。

単なる誤りと一笑に付すなかれ。地名すら読み違え、訂正もなく平然と使いつづけてしまうところに、地元に対する無知や軽視が垣間見える。そういう態度が人をいかに決定的に打ちのめすかを、私は偶然開いた本の一節で確認した。1970年代初頭に豊前(ぶぜん)火力発電所建設反対運動を担い、その後も大分・中津に生き、中津を守り、中津に逝った作家松下竜一が『暗闇の思想を』(社会思想社、1985年)の扉に記した次のことばである。

「棲(す)み着く者にはそれ以外にありえぬ郷(さと)の地名も、遠い異郷では思いもかけぬ読まれ方に出あう。東京で豊前を<とよさき>と読まれたとき、私は一種の驚きに打たれた。そして、その驚きの底には、わが郷の丸ごとの状況はとうてい異郷の人びとに伝ええぬのかもしれぬという絶望に似る思いも湧いていたのである…(後略)」

私はゲンコイの人びとに「カエンコイ」の件を伝えていない。しかし、発電所の話を聞きに訪れる私に、街の隅々を案内し、幼少時の思い出から、過剰消費社会への批判、子孫を案じる気持ちまでをも吐露してくれる彼ら・彼女らが、松下竜一と同じ絶望をすでに感じていることは容易に察しがつく。

言語学的観点に立てば、誤りは言語の活力で、新鮮な変化を呼び込むこともある。在日コリアンの人びとが立退きにおびえながら必死に街を守っている京都府宇治市「ウトロ」は、元々の漢字表記「宇土口(うとぐち)」を片仮名表記する際に誤って「うとろ」と読んだものが定着し、すでに住民のアイデンティティーの一部になっている。しかし、これは住民が選び取ったからに他ならず、「カエンコイ」がそうなることは決してない。

2006年2月15日(こうもり)

ゲンコイ第2複合火力発電所の問題については、記事「住民の強い懸念を無視し、融資決定が強行されたタイ火力発電事業」をご参照ください。

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